創作小説を中心としたブログです。【転載及び複写は、お断りします!】

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2010年04月15日

鉛筆画

睦樹.jpgカーリー.jpg

茜と空.jpg

絵美.jpg茜.jpg

ゴースト.jpg

一葉.jpg



後書きを読む
posted by ヒロト at 17:39| Comment(1) | TrackBack(0) | アルルの画集 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月15日

世に在らぬヒト

 初めまして、世に在らぬヒトです。

 このブログでは”ヒロト”と言う名を使っております。時代小説をメインに書いておりますが、未熟の為に更新がやや遅い事をお詫びします。



 アルルはブロク等に記事を提供してくれる友人です。

posted by ヒロト at 15:30| Comment(0) | 作者紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月01日

魏史倭人伝から見る邪馬台国の役職

<邪馬台国連合の内政部門>
支馬=司馬:司法長官・・・(伊支馬=伊都国出身の司馬)
糧=食糧管理長官・・・(奴佳テ=奴国出身の糧)
升=軍の目付・・・弥馬升=大王の身内出身の升)
獲支=制圧した国の領主推薦・分配長官…(弥馬獲支=大王の身内出身の獲支)
大夫=大臣AND外務大臣
大倭=市場管理の長官…のちの倭日子将軍や倭猛は長官の末裔?
   租税も徴収していた?


<邪馬台国連合の軍事部門>
一大率=派閥国の纏め役AND邪馬台国連合軍の司令官。
大毘古=大将軍
毘古=将軍
卑奴母離=母離=母国より離れた・・・領主の目付OR国の大使。
卑狗=大王の下に仕える者・・・国王OR領主
亦卑狗=大王の下に仕える大物・・・大国の王OR大領主
都市牛利=制圧した領地を任せた者OR高句麗の県知事相当の位

<邪馬台国連合の外交部門>
伊都国に有る「爾支」…後漢の領事館に対応する部署
觚=事務次官・・・泄謨觚・柄渠觚←個人名

と推定すると、私は納得できます。貴方はどうでしょうか?
posted by ヒロト at 16:41| Comment(0) | 古き時代の事実 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月30日

神話から観る 邪馬台国⇒倭国

神話とリンクする古事記・日本書記をいろんなサイトから集めた物です。
『事実?』は朝鮮の歴史や神話なども参考に考えたモノです。

<注意>古事記と日本書記の部分は、『縄文と古代文明を探求しよう』から引用してます。いずれ自分でも細かく調べてみますが・・・。

【修正中】

@神話上の土地

『事実?』
中国人による秦王朝統一時代の呼び名?
高天原(九州大陸を指す?) 芦原中国(中国地方を指す?)


A最初にあらわれた神(大王)

『古事記』 天之御中主神
『日本書記』 国常立尊
『事実?』九州北部で倭奴国が勢力を拡大。初めて大陸と交渉を持つ。


B天照大御神・須佐之男命・月読命の誕生

『古事記』伊邪那岐神が顔を洗った時に、左目を洗った時に「天照大御神」、右目を洗った時に「月読命」。鼻を洗った時に「須佐之男命」が生まれたとされている。

『日本書紀』伊邪那岐神と伊邪那美神が相談して生んだとされている。


『事実?』伊弥那岐=邪馬台国連合の元となる「邪馬国」連合盟主?

伊弥那美=邪馬台国初代大王? 伊弥那岐の妹
どう考えても卑弥呼の年齢が長い。先代と合算の可能性が高い。

天照大御神(アマテラス)=卑弥呼(邪馬台国大王)2代
           +台与(壱與)邪馬台国大王4代 

卑弥呼には内縁の夫「高御産巣日神=タカミムスビ」が居た?
タカミムスビ=伊都国の王族?

月読命=卑弥呼の妹 その子が台与?

佐治国の王=須佐之王=卑弥呼の親族及び弟 卑弥呼を殺した簒奪者 
邪馬台国大王3代?


C台与の後継者は誰だ?

天照大御神(卑弥呼)⇒天照皇大神(天神御子)=卑弥呼の子供は大王に為れなかった。
 
卑弥呼の孫⇒天津日子番能邇邇藝=【邇邇藝命】。東征を命じた実質的な大王。伊都国に住む。

兄で有る【邇藝速日】は大王継承争いで敗れ、大阪に落ち延びる。


【天之忍穂耳】の一族とは倭奴国の末裔・・・五瀬命や神武らは日向出身者、耳川近くで生また。神武が倭王を正式に名乗る。

大王簒奪者:須佐之王を認めない。5代大王が邇邇藝命で有る。


D出雲神話と出雲風土記

『事実?』八穂米尾呂地(ヤホメノオロチ)制圧の戦いが神話として残った?
須佐之王が制圧した国々が「国寄せ物語」として残る?


E新羅に須佐之王が渡るエピソード

『古事記』なし

『日本書記』異説で、須佐之男命はまず新羅の国へ下り、それからたくさんの樹木の種を携えて、息子の五十猛尊とともに土船に乗って、出雲にやってきたとある。

『事実?』新羅連合国に落ち延び、ク・シナダ姫を娶り兵を借りた。
その娘との間に生まれた子を人質として新羅に置いて来た?
須佐之王は、付き従う50名余りの強兵と新羅軍とともに出雲を制圧した。大船が転覆(土船)し歳月が経ち、新羅兵が出雲に根づいた事を示す?
もしくわ九州大陸や朝鮮南部の植物を出雲に持ち込んだ?

この須佐之王=当時3代目(須佐之王の孫?)OR佐治国の王族を示す?だとすると、やはり佐治国は滅ぼされた??

大国主(オオクナヌシ)の命とは、形上新羅連合に属している事を示す?


F須佐之男命 身の潔白を示す為の誓約


『古事記』事前の取り決めがなく、物実を重視し、須佐之男命が女神を生んだから潔白としている。

『日本書記』事前に取り決めがあって、須佐之男命から男が生まれたから身の潔白が証明されたとしている。

『事実?』九州を統一した倭国に対し「国譲りの証」として出雲大社に納めて有った3種の神器を渡した事を示す?
倭国に王族を人質として差し出した?
倭国の侵攻に対し属国となった?

G因幡の白兎

『古事記』大穴牟遅神(大国主神)が白兎を助けた。
『日本書紀』記述なし。
『事実?』須佐之王の軍が倭国軍に参軍した事を示す?

H大国主神の試練

『古事記』求婚(併合)に失敗した八十神が大国主神を妬んで何度も殺し、生き返って逃れた先の須佐之男命の下でも試練を与えられたれるが、それを乗り越える。

『日本書紀』記述なし。

『事実?』倭国軍に参軍した須佐之王の軍が先陣を度々任され死傷者を多数出した。
参軍中に王が死亡、王位が代わった事を示す?
八十国の王=大和地方の連合国を示す?

I邇邇芸命の結婚(併合)

『古事記』木花之佐久夜毘売とその姉石長比売を送られたが、石長比売は醜女だったため、送り返された。木花之佐久夜毘売のみを選んだために、寿命が限られるようになったとされている。

『事実?』石長比売=須佐之王の国 木花之佐久夜毘売=大和地方の連合国
邇邇芸命=邪馬台国連合(倭国)の事なのか?
これは、大和地方を倭国が制圧した事を示す?
だとすると石長比売=須佐之王の国⇒仕業で倭国が乱れる?
 
J邇邇芸命と木花之佐久夜毘売との間に生まれた子の順序

『古事記』火照命(=火闌降命=海幸彦)火須勢理命(=火明命)、火遠理命(=彦火火出見尊=山幸彦)の順番。

『日本書紀』火闌降命(隼人の祖とされる)、彦火火出見尊(神武天皇の祖父とされる)、火明命(尾張連の祖とされる)の順番
☆日本書紀は、神武天皇より尾張氏を重視したかった??(古代では末っ子が相続する習慣があった)


『事実?1』九州から進撃した倭国(旧邪馬台国)が大和地方制圧後
⇒属国で有った狗奴国の残党(鹿児島県)が反乱を起こすが、それを制圧。
⇒東海地方の連合国を制圧した?

『事実?2』伊都国が福岡県前原市に有ったと仮定。佐治国が佐賀県唐津市に有ったと仮定。山幸彦側が海幸彦側に圧力(攻撃)を受けていた。悩んだ末に海を隔てた国の姫を貰い、3年掛かりで海幸彦を制圧したともとれる。恐らくは、伊都国が勝ったのであろうが・・・。

その為に佐治国の王や王族=須佐之王(称号)が逃げ新羅に渡った事を示す?


K【神武東征】とは高天原統一戦と東部制圧戦が混ざった物語?

『事実?』高天原(九州)統一戦の話・・・邇邇藝命を大王と認めない邇藝速日派掃討戦の事を指す。

大阪制圧戦・・・大阪で【邇藝速日】の末裔を中心とした
長髄彦(ながすねひこ)が頑強に抵抗した。
降伏する時に、神器の一つ弓を渡した?【邇藝速日】が持て来た物

総大将:五瀬命 神武は弟で当時副将で有った?
大王は、天津日子番能邇邇藝=邇邇藝命で有る?


上記は、僕個人の憶測なので、自分で調べる事をお勧めします。





posted by ヒロト at 20:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 古き時代の事実 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

歴代の倭王

それは、天皇の名前に解くカギが有る事は疑いのない事だろう。

蘇我一族が歴史を改竄したを指示した結果で有ると考えられる。
近隣諸国の歴史と神話を考慮すると以下の物語が成立する。↓↓↓↓改竄前の歴史?

255年頃? 神武が生まれる??
273年頃  高天原(九州大陸)が統一される。
        【邇邇藝命】が邪馬台国5代大王となる。
        この時代の神武が【神武天皇】とされた。
274年 五瀬命を総大将とし東部征伐軍が編成される。

301年 神武 大漢国(大和国)を滅ぼす。神武ら東部征伐軍が邪馬台国から独立。
      国を倭とする。総大将の神武が初代倭王【崇神天皇】を名乗る。
      末子が政治(王)をやる慣習が有った。
      その為に軍を率いる毘古(長子)らが賛同。
      反対する近隣国へ3将軍が派遣される。
      大毘古=大将軍という意味だと考える方が自然。
      伊久米伊理毘古(伊久留から来た将軍)=神沼河耳命(生誕地)=建沼河別(役職名)
      沙本(出身の)毘古(将軍)=多芸志美美命(生誕地)=日子坐王(称号)の3将軍で有る。
303年 大和地方に王都【磯城瑞籬宮】を完成させる。
306年 邪馬台国と敵対する意思が無い事を示す為に天照大神を祭る。
310年 初代倭王:神武=【崇神天皇】死亡。邪馬台国同様に大王と呼ばれる。

310年 2代倭王を争いで多芸志美美命=(側室出6男)暗殺される。
     【多芸志美美命派】の武埴安彦が【神沼河耳命派】に攻め滅ぼされる。
      側室出5男が祭司者として隠居する。

311年 2代倭王:神沼河耳命=【垂仁天皇】が就任。(正室出4男)
317年 弁韓連合国と友好を結ぶ。鉄材料と邪馬台国牽制?
322年 倭日子の子 倭彦命が死亡。
325年 神沼河耳命【垂仁天皇】が死亡。

326年 3代倭王:【景行天皇】が就任。日子坐王の末裔、神功皇后も妻の一人。
330年 筑紫国(邪馬台国)に貢物を贈る。友好関係維持狙い?
333年 筑紫国(邪馬台国)に貢物を贈る。友好関係維持狙い?
335年 筑紫国(邪馬台国)との友好目的で天照大神を祭る。
     敬っている事をアピール?
336年 武内宿禰に北陸と東方諸国検察(制圧国の査察)を命じる。
338年 倭建命(ヤマトタケル)=日本武尊を東方に派遣し反抗する国を制圧させる。
     倭建命は、倭日子将軍の末裔で有り、3代倭王の子供? 
     神功皇后の陰謀で遠方に追いやられた?
346年 馬韓国(連合)が伯済国を盟主として百済国(ペクチェ)と名を改める。
349年 【景行天皇】死亡。神功皇后の陰謀で九州で殺された?

349年 4代倭王:【成務天皇・仲哀天皇】が就任。
      倭王が幼児の為に4代倭王の母親が国政を牛耳る。神功皇后?      
       九州で香坂王と忍熊王が筑紫国の傘下に入る。
       筑紫国と新羅が同盟した結果?それとも傀儡政権に嫌気をさした結果?
356年 応神天皇が実権を掌握【仲哀時代

362年 5代倭王:【応神天皇】が王位簒奪。
362年 倭王自ら兵を率い、九州の香坂王と忍熊王の国王を殺す。
364年 倭国 新羅に攻め込む。
366年 百済が倭国に同盟を申し込む。
     この時は弁韓連合国の一部は、倭国の属国で有り倭国軍が駐留していた。
367年 高句麗が百済に侵攻。倭国が高句麗の同盟国(新羅)に進攻。
368年 高句麗 百済遠征軍を新羅救援に差し向ける。
368年 百済 新羅に対し貢物を贈る。友好関係構築狙い?
368年 百済(貴須)倭国に対し七支刀を造らせる。新羅進攻へ感謝の意を表す為?
371年 百済3万の兵で平壌城攻略中に高句麗王「故国原」を射殺。
      百済の使者が高句麗戦の報告と七支刀など大量の品を倭国に贈る。
374年 新羅の初代王と為る男が高句麗の姫?を貰う。
375年 辰韓国⇒新羅と正式に名前を変える。盟主を大王と定めた?
392年 百済が高句麗に攻められ辰斯王が殺される。百済領の北部が高句麗に制圧される。
393年 百済の阿華王が倭国の支援により王位に就く。
     百済が実質に倭国の属国と為る。
397年 百済の阿華王が倭国に対し、弟(腆支王)を人質に差し出し派兵を願い出る。
399年 倭国が百済との約束により高句麗の同盟国、新羅へ侵攻。
400年 新羅側に高句麗軍が参戦し弁韓諸国の一部が新羅に制圧され、倭国の敗北で終わる。 
403年 倭国 百済の要請で5万以上の兵を出し百済領奪還作戦を支援。
404年 百済 阿華王が死亡。家臣に殺された?
405年 倭国 百済(腆支王)に100名の護衛を付けて送り返す。
405年 百済で腆支王が即位。
407年 倭国・百済連合軍 旧百済領を一部奪還に成功。
      その戦いで倭王【応神天皇】が矢傷を負い戦死する。

408年 6代倭王に讃【仁徳天皇・履中天皇】が就任。
409年 百済 倭国に贈り物を捧げる。新な倭王即位祝い?
409年 讃王 国内の反対勢力一掃の為に弁韓国駐留軍を国内に戻す。
     就任に反対した筑紫国(旧伊都国)制圧に乗り出す。『磐井の乱』
     王は、元邪馬台国大王【邇邇藝命】の末裔。
     有力国家の反対に遭い、筑紫国の一部割譲で終わらせる。
410年 倭国の属国「弁韓連合国」が高句麗の同盟国(新羅)に降伏する。
411年 百済が新羅と婚姻同盟を結ぶ。
413年 讃王、東晋に貢物を献ず。百済・新羅連合を恐れ牽制?【履中時代
418年 讃王 百済に贈り物を捧げる。友好関係を維持。
420年 百済 腆支王が死亡。
421年 讃王、宋に朝貢し、宋の武帝から除授の詔をうける。
428年 讃王 百済に贈り物を捧げる。友好関係を維持。
437年 倭国王の讃王が死亡。

438年 7代倭王に珍【反正天皇】が就く。弟の珍が讃の息子より王位簒奪。
438年 倭国王の珍王 宋に朝貢し、安東将軍倭国王の位を貰う。
      倭王は珍である。宋が承認したと周囲に見せ有力豪族を抑えた。
442年 倭国の珍王が死亡。

443年 8代倭王に斉【允恭天皇】が就く。宋に朝貢し、安東将軍倭国王の位を貰う。
      政権安定目的・・讃の息子?
460年 倭国 斉王が死亡。

461年 9代倭王に興(斉の世子)【安康天皇】が就く。
461年 百済(蓋鹵王) 弟(昆支)を人質に送り新羅攻撃を要請。
462年 興王が宋に朝貢し、安東将軍倭国王の位を貰う。
     宋の許可を得て、高句麗の同盟国:新羅(旧弁韓国地域)を攻撃する。
477年 武、王位継承権を持つ王族を尽く始末する【雄略時代
477年 倭国王の興王【安康天皇】死亡。
     武に唆された眉輪王に殺された?眉輪王のちに殺される。
478年 10代倭王に武【雄略天皇・武列天皇・清寧天皇】が就く。【武列時代】である。
      武王自ら、元弁韓国の構成国「加羅国・任那国」を制圧。
      属国加耶(伽耶)とし倭国軍を駐留させる。
479年 南斉の高帝、王朝樹立にともない、倭王の武を鎮東大将軍に進号する。
     武王が南斉に承諾を得て百済に軍を送る。
480年 武王が人質と為っていた【東城王】を百済の王に即位させる。
490年 武王が白髪交じりとなり覇気が無くなる。【清寧時代
501年 百済王(東城王)が倭国支持派の為に高句麗支持派家臣に殺される。
502年 粱の武帝、王朝樹立にともない、倭王の武を征東将軍に進号する。
     武王 粱に承諾を得て、百済へ軍を送り攻撃。
      百済の高句麗派を駆除。
503年 武王、武寧王(昆支の息子)を支援し百済の王に即位させる。
506年 武王死亡。
           
征東=中国に朝鮮半島の侵略を承認して貰った許可?
鎮東=中国の属する国を安定させる為の派兵許可?
安東=中国から国内を纏める為に後ろ盾として認めて貰った?


7世紀 天武天皇こそが天皇と言われた初めての男
大化の改新を大々的にアピールする為に国号を倭国からヤマトに変更し、紀元前まで歴史を作成。倭王に就いてもいない王族の名前までも適当に入れた。名前に意味も有る倭王(天皇)もいるが。蘇我一族の陰謀による改竄の可能性が極めて高い。識字率も10%を切っていたからこそ可能で有ったのだろうが・・・。    



posted by ヒロト at 14:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 古き時代の事実 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする